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ヒストリー  2021/06/27

JØTULの父、オンスムの人生

ヨツール社創業の祖Oluf Onsum(オールフ・オンスム)は、1820年6月27日に生まれました。彼の人生と、ヨツール社の初期の歴史を辿ります。

15歳で実業の世界へ飛び込む

オンスムはノルウェーの西、温暖な気候と自然豊かなMolde(モルデ)という町に生まれました。現在は、“薔薇の街”と呼ばれるほど薔薇園が多く、国際ジャズフェスティバルが開かれる観光地としても有名です。 彼の父は、Åndalsnes(オンダルネス)という港町で商いをしながら農場を経営しており、オンスムは3人兄弟の一人として育ちました。一人は医者に、そしてもう一人は弁護士の道へと進みました。 1835年の15歳の時に、オンスムはKristiania(クリスチャニア=現在のオスロ)で貿易業を営んでいたDonato Brambani(ドナート・ブラバンニ)のもとに修業に出されます。 ブラバンニは北イタリア出身の実業家で、彼の妻のJojanne Caroline Rnmi(ヨハネ・キャロライン・ルミ)も子育てをしながら、自分でも事業を手掛けている女性でした。

結婚が叶えた、起業への夢

貿易事業のアシスタントとして働いていたオンスムですが、彼が22歳の時に雇い主のブラバンニが亡くなってしまいます。 未亡人となったキャロラインは、夫の事業を4年間継承した後、オンスムの実業家としての才覚を見込んで再婚相手として選んだのでした。 おそらく7年間の修業時代を経て、オンスムはブラバンニの右腕となるくらいの実力を付けていたと思われます。 1846年、8歳年上のキャロラインと結婚したオンスムは、27歳にして多額の資金を持つ経営者となりました。同時にブラバンニとキャロラインの間に生まれた息子の継父として、 息子とともに実業家として事業を拡大していったようです。

ヨツールの礎を築いた1853年

オンスムが経営者として活動した1800年代中頃は、イギリスの産業革命で蒸気機関車が走り始めるなど、目覚ましい変革の波が押し寄せた時代。 1853年、33歳のオンスムはノルウェーの中心地となっていたクリスチャニアに製鉄所を設立、建築資材などの確保に取り組みます。この年、日本ではアメリカのペリー提督が神奈川県の浦賀に開港を迫った「黒船来航」の年ですが、オンスムは早くも事業拡大を進めていたのには驚きです。 オンスムは次に製粉所を買い取り、水車を利用して動力となる水力発電で、Loelva(ロエルバ)に工場を設けて、ヨツールの事業の前身となるKværner(クーバーナー)社を設立します。ここで、家庭用や農業、船舶用の薪ストーブやその付属品などの生産を開始しました。 さらに1862年には煉瓦工場や製紙工場を買収して事業を拡大し、1870年ころには水力発電用のタービンを製造するなど、地域の主力企業に追随する発展を遂げていきます。

地域のリーダとして

工場で働く従業員からはSlegga(ハンマー)というニックネームで呼ばれていたオンスムは、日本でいう“頑固親父”というようなイメージだったのでしょうか?次々と事業を拡大する一方で、市議会議員を20年も務め、1860年には労働者のための診療所を設立するなど福利厚生にも目を向け、経営者として地域貢献、社会貢献に尽力している記録も残ります。1871年にオンスム夫妻が結婚25周年の銀婚式を迎えた年、従業員たちがお祝いに行列したという話も伝わっています。

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